『ヒーコの夢挽き』☆1エチオピア(寝覚め編)

『目をさます』という表現には、いくつか解釈があって。

 ひとつは、「睡眠から起きる」という意味。

 ベッドの上に広がっていたまどろみから追い出され、日常へと返っていく状態。

 もうひとつは、「現実と向き合う」という意味。

 頭のなかに広がっていたしがらみから抜け出して、地に足を着ける状態。

 目を『覚ます』ことと、目を『醒ます』こと。

 そのふたつに共通する性質は、

『夢』からの隔離。

 さあ、眠るのはもう、終わりにしよう。

 アラームが鳴る。

 ピピピピピピ。「PI」が絶え間なく繰り返されるだけの、無機質な音の羅列。わたしの朝はこれで始まる。むかしは好きなアイドルソングなんかを目覚ましでかけていたけれど、不思議なもので、一日に数十回リピートするような大好きな音楽でも、一日一回熟睡時の耳に無理やり入り込んでくるとなると、それからどんな時に聞いても身体が拒否反応を起こしてしまうものだから、生きた音楽をアラームに設定するのは、半年程前から辞めてしまった。

 好きな物が減ることもしかりだが、嫌いな物が増えてしまうのは、よくない。
 わたしの人生的にも、モチベ的にも、毎日的にも。

 つまりわたし、超濾挽子(こしろひいこ)にとって、よくない。

 だから辞めた。よくないことは、辞めるに尽きる。

 右手でアラームを止めると同時に、左手をベッドに押し付けて腰を浮かせる。
 寝巻から制服に着替えて、一階に降りる。
 洗面台で顔を洗い、歯を磨いていると、ふんわりと、とある香りが鼻をくすぐる。

「今朝も早いわね、おはよう」
「おはよう、今日は?」
「エチオピアよ」
「いいね」

 リビングで母さんとそんなやり取りをして、香ばしさの正体の前に陣取る。ここでは「椅子に座る」という機能的な表現はしたくない。わたしはこの、匂いが一番届きやすいところに、鼻を置いただけだ。

 いや、もっと正確に言えば、「それ」に口付ける準備を、整えたのだ。
 リップはまだ、塗っていない。「それ」を嗜む間は、色も味も、匂いも、他の情報はなるべく少ない状態にしておきたい。

 だからアラームが嫌になるくらいの早い時間に起きるんだよ、ズボラなパパが起きてきちゃう前に、楽しみたいからさ。

 さあ、さあさあ。「それ」はわたしに飲まれるのをいまかいまかと待たんばかりに、景気よく湯気を放出しまくっている。

 ベーコンがフライパンに焼き付けられる。気にしない。
 洗濯機が一仕事終えたと騒いでいる。関係ない。
 風が春を運んでくる。だからどうした。

 あらゆる外界の情報を遮断して──まるで夢のなかを生きる眠り姫のように──カップの取手に指をかける。テーブルから引き離された磁器のなかで、黒々とした液体がかるく波打ち、雫を一滴、打ち上げる。刹那、蒸発したそれが鼻腔へとダイブ。異質ブツの体内への侵入を許したわたしは、幸せな気持ちに包まれる。

 あぁ、寝込みを襲うアラームも、このくらい魅惑的なら──考えている間に、上唇と下唇で挟み込んだカップの縁、その縁と上唇の間から、流れ込んでくる。

 なにが、って?

 刺激的な、『苦味』が。

「んく……っ」

 これは余談だが、わたしは朝から重たい朝食は受け付けない派だ。一晩寝かせたカレーの残りなんかいわずもがな、ただの白ご飯ですら、噛まなきゃいけないというだけで、しんどくなってしまう。麺もパンも、またしかり。

 だからと言って、朝から牛乳やオレンジジュースなんか飲むのは、粘っこくて嫌だ。
人生における嫌は、できるだけ、少ない方がいい。

 生きるのに必要な苦みなら、これで十分、摂取できる。
 コク深すぎず、爽やか──それでいて、ちゃんと深い味わいを持つ飲み物。

「どう、ひーこちゃん。朝のご馳走は」

 エチオピア産の珈琲は、わたしの朝のお供に、最好なのだ。

「あら、聞こえなかったかしら? どう、朝の珈琲は」
「さいこうだよ」

 そうだ、母さんは超能力者じゃない。心のガッツポーズは別に見透かせないんだった。

 ちゃんと、お礼を言わなきゃ。親しき中にも礼儀あり、だ。

「美味しかった。ご馳走様でした」

 目が覚めた。

 こうして、わたし、越濾家の一人娘、挽子の朝は。

 無機質な音で、ベッドから無理やり身体を追い出し、まどろみながら身支度を済ませて。

一杯の珈琲で、意識を完全に夢から引き剥がすところから、始まる。

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